何がそんなに…

大変なストレスだったかというと、子供が入院してしまったということ。続きを読む


posted by しげじたん at 2013年04月12日13:02 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目軟膏の話

ブログの更新は、意外に大変だなぁ。 そう思ったのは、先日「角膜ヘルペス」なるものに罹患した時です。 進行が早くて最悪失明の危険があるこの感染症では、「目軟膏」というのを患部に塗ります。 患部といえば角膜(と、目の周縁)なので、目に直接軟膏を塗りこむということ。 1日5回だから、起きてる間3時間おき。 これを塗っているとおよそ3時間は、前がよく見えません。つまり1日中見えません。 この病気は大概片方の目にでるのですが、私の場合もとも視力がアンバランスな目の(右1.0前後、左0.3前後)の良いほうの目に症状が出たので、もう大変。 本当はブログの更新どころか、仕事や車の運転まで差し障る始末。 薬効あって今はすっかりよくなりましたが、本当に大変でした。 もともと体内に潜んでいた単純ヘルペスウイルスが、過労やストレスで目に出てくるものなだそうですが、ここでもやっぱり健康第一ですね。
posted by しげじたん at 2013年04月12日10:26 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死ぬ権利はあるのか?

ちょっと間が空いてしまった。 自殺についての考察を、続けている。 そもそも自殺する権利って、あるのだろうか。 誰にも決して実行してなど欲しくないけれど、果たしてそうする権利を人間はそもそも有しているのか。 自殺する動物は、人間だけだと言われている(もっともイルカなんかも自殺するらしいけれど)。 厳格にそれを禁じている宗教もある一方で、神の名の下に自爆テロなんて宗教もある。 もっとも自爆テロの場合、自殺に対する主体性が本人ではなく神(を、語るもの)にあるので、自殺と言ってよいのかどうだか。 そう言った意味では、自分の死が軍の命令によってもたらされる、太平洋戦争中の帝国陸海軍の特攻は、自殺ではないのは明らかだ。今後は、自殺攻撃とか言わないでもらいたいものだが。 私が、この疑問に対して自分なりの答えを見出したきかっけとなったのは、確か中学の教科書に出ていた吉野弘氏の『I was born』という有名な詩だった。その詩の内容や解釈は、もっと詳しい方がおられると思うので敢えて触れないが、そのタイトルも示す通り、どうしようもなく受動的な宿命を持った人間の生(誕生)を、いかにして主体的な自分の人生に変換するのかというのが、大きなテーマだったように思う。 その時私が考えたのが、「自殺する権利」だった。 本来受動的な人間の生は、自殺する「能力」と「権利」を留保し、いつでも行使しし得るその権利を、敢えて主体性をもって「行使しない」ことで、自分の生が主体的なものになるということ。 言い換えると、自殺の権利の行使を拒否し続けることが、生の主体性の根幹である。 よって私の結論は、主体的生の前提としてその行使を拒否し続ける為に、我々は「自殺の権利」を持っているということである。
posted by しげじたん at 2013年03月01日16:31 | 教育論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死んではいけない

前回大阪の高校生の体罰自殺に関して書いたが、もう少し考えてみたい。 残念で可哀想だが、その命…勿体無いことをしたと思う。 もし、顧問教師に当てつけで死んだのだとしたら…ますます勿体無い。 顧問教師なんて、人生で出会う沢山の人々の中のたった一人に過ぎないのに、それ故に人生を断ち切るなんて、客観的に見れば愚である。過ちであるとしか言いようが無い。ところが残念なことに、この過ちは取り返しがつかない。大概の若気の過ちは、反省し成長の糧にすることで取り返せるが、死んでしまってはどうしようもない。犠牲という言葉もあるが、この場合そんなものは元来必要ないのだ。 まだ私が10代の頃、大好きだったアイドル歌手が自殺した。 まだ、多感な頃の私は、自殺について考えた。 自分が死のうと思ったのではない。自殺とはどういうことなのか、必死に解釈を試みたのだ。 次回は、その事を記したい。
posted by しげじたん at 2013年01月26日15:51 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市長の体罰

もう願書提出ってタイミングで、突然目標を失っちゃった受験生は、そりゃ動揺するよな。 まだ15歳なんだし。 急に入試を中止させようとした、前の文部科学大臣の真紀子さんも、この点で批判された訳だよ。 高校生だって、自分ががんばってきた部分が全否定されたら、辛いよな。 そうやって、正義の名の下に若い芽を摘んじゃうんだ。 予算を盾に、頭ごなしに自分の考える正しさを押し付けるのは、体罰と本質的に変わらん。 自殺したキャプテンの遺族に会って、体罰に対する考えが変わったなんて言っていたけれど、彼の行政運営は本質的に体罰の構造と共通するからな。 頭ごなしという意味では、島倉千代子も可哀想。というか橋下無礼。 それはさておき、子供に限らず人にモノを教えた経験がある人は感じていると思うけれども、先生の指導法は、無意識にその先生自身ががかつて受けた指導法をなぞる場合が多い。授業の進め方から口ぶりまで、意識していないといつのまにか、自分の先生のそれを真似していることに気づく。 今回の体罰バスケットボール教師も大阪の市長も、筆者とほぼ同世代で、その中高校生時代は今よりもずっと体罰が容認されていた。思い返せば、よく殴られたものである。おそらく当時の教師(既にその多くが定年を迎えた訳だが)が今も現役だったら、かなりの確率で懲戒処分を食らっていたことだろう。 個人的には恨んではいない。しかし、トラウマになっている友人もいる。 体罰が教育的にはほとんど意味が無い事を、私たちの世代は身を以て体験している。 ところがだ。 いざ、人にものを教えるとなると、つい無意識にかつての恩師である体罰教師のやりかたを踏襲してしまうのだ。バスケット教師も市長も…。 全ての教師は強い自覚をもって、自分の中に染み込んだ体罰の記憶を、自分の指導から排除しなければならない。 市長さん…あんたもな。
posted by しげじたん at 2013年01月25日17:05 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寒い…

日がくれると、急激に寒くなるのが縁側です。 お日様があれば、ぽかぽかなんだけれどね。 明日は晴れるかな。 縁側より、愛を込めて。
posted by しげじたん at 2013年01月19日17:55 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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